お役立ちコラム

■第5回■無線通信の発展と日本無線(その1)

■第5回■無線通信の発展と日本無線(その1)

第5回では無線通信がはじまるきっかけとなった電磁波(電波)の発見から無線電信機の発明、そして無線通信の発展とともに歩んだ日本無線の技術について終戦(1945年)までご紹介します。

電磁波の発見

携帯電話やノートパソコン、ラジオなど、私たちが普段何気なく使っている情報通信機器がケーブルにつなげることなく通信ができるのはなぜでしょう?それは電磁波を利用しているためです。電磁波は、電気を利用することで電界と磁界が交互に発生した空間を伝わる波です。この波を送信・受信することで情報をやり取りすることができます。

電磁波は雷からも発生するなど、もともと自然界に存在していましたが私たちの目には見えません。その存在をイギリスの物理学者マックスウェルが予言し、1888年にドイツの物理学者ヘルツが証明しました。

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電磁波の存在を証明した実験

上図の左の装置が電磁波を発する放射器です。高い電圧を加えることで二つの金属の球の間にある小さな隙間に火花が発生※します。そのときに、放射器と少し離したところに設置した共振器(右の装置)の二つの金属の球の間にも火花が発生したことで、電磁波の存在が証明されました。

※この現象を火花放電と言います。二つの電極に電圧を加え、ある限界を超えると電極間に火花を伴った放電が生じます。

無線通信のはじまり

電磁波の発見により、通信技術は飛躍的に発展していきます。1895年にイタリアの発明家マルコーニが、電線を使わずに通信ができる無線電信機を発明したことは、情報通信の歴史において大きな功績となりました。

マルコーニは無線通信技術の開発のため、マルコーニ無線電信社を設立。発明当初はわずかであった送信機と受信機の距離は徐々に広がり、1899年に英仏海峡間、1901年には2,700㎞にも及ぶ大西洋を横断する長距離無線電信に成功しました。

なお、このころの無線通信はモールス信号での情報通信のみであり、音声や画像をやり取りすることはまだできませんでした。

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日本無線のはじまり

マルコーニによる無線電信機の発明から1年後の1896年、日本では逓信省(現・総務省)が無線電信研究所を創設し、その翌年に無線電信機を開発しました。無線による情報通信は、海上での人命救助や安全確保といった目的でも活躍します。1908年には逓信省が千葉県銚子に日本初の海岸局を開設し、日本の無線電信が本格的に運用され始めました。1912年にタイタニック号が北大西洋で氷山に衝突して沈没した悲劇が船舶用無線通信の重要性を知らしめることとなり、無線通信施設の充実と法制化が世界的に始まりました。その3年後の1915年、無線電信機の製造・販売を行うために日本無線(匿名組合日本無線電信機製造所として創業、以下 当社)が創立します。

当社製品の第1号となった「ニッポンラジオ瞬滅火花式無線電信機」はマルコーニの無線電信機の仕組みを基に作られ、火花放電をモールス信号のように発生させることで情報通信を行います。受注第1号は長崎造船所の救助船に搭載されました。

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当社製品第1号「ニッポンラジオ瞬滅火花式無線電信機」

戦前・戦時中の無線通信と日本無線

日本無線が創立した1915年は第一次世界大戦の真っただ中でした。大戦の影響により日本への物資の輸入が途絶したことで国内製造業は急速に成長し、輸出も活発化しました。海運業は大きく発展し、船舶用無線電信機の需要も急増しました。

当社は海運会社・造船会社、漁業分野でも製品の製造・販売を行うなど、数多くの船舶関係の通信機器に携わりました。また、逓信省、陸海軍の指定工場となり、陸軍航空部から受注した航空機用無線電信機が画期的であると評価されたことで、航空機用無線電信機分野で国産化の道を開きました。

第一次世界大戦が終結した1918年以降は特需景気がおさまり、その反動が日本経済に及びます。輸出の不振により海運業、造船業は大きな打撃を受けました。当社は不況に直面するなかで無線通信機器を開発し新市場を開拓、さらにドイツのテレフンケン社と資本・技術提携契約を結びました。大戦を経て国際通信の重要性を痛感した日本は無線通信により国際通信を実現させようとします。当社はテレフンケン社と共同で対欧無線電信局の建設工事を請け負い、名古屋市近郊の送信所に250mの鉄塔(東京タワーが建設されるまで日本一の高さ)を建設して空中線を張りました。

1920年にはアメリカでラジオ放送が始まり、当社は日本でのラジオ放送に備えて放送設備、ラジオ受信機とその部品の開発を進め、放送開始と同時にラジオ受信機を販売しました。
1940年にはイギリスで実用的なレーダーシステムが発明されました。電波は物に当たると反射する性質を持っています。レーダーはその性質を利用し、電波を発射して物体に当たり戻ってくるまでの時間を計測することで物体までの距離を測る装置です。当社は1934年より海軍と共同でマグネトロン(マイクロ波用の真空管)の研究を開始し、ここから当社のレーダー開発が始まりました。1941年から始まった太平洋戦争では航空機用、艦船用のレーダーの開発にも携わりました。

1888年 ヘルツが電磁波の存在を証明
1895年 マルコーニが無線電信機を発明
1897年 逓信省(現・総務省)が無線電信研究所を創設し、無線電信機を開発
1901年 マルコーニ無線電信社が大西洋を横断する長距離無線電信に成功
1908年 逓信省が千葉県銚子に日本初の海岸局を開設
1912年 タイタニック号の遭難事件
1912年 日本初の無線電話機が発明
1914年 第一次世界大戦が勃発
1915年 Ⓙ匿名組合日本無線電信機製造所(現・日本無線株式会社)を創立
1916年 Ⓙニッポンラジオ瞬滅火花式無線電信機を開発
1918年 第一次世界大戦が終結
1920年 アメリカでラジオ放送が開始
1922年 Ⓙ日本初の「気象用無線電信装置」を完成、神戸海洋気象台に納入
1923年 関東大震災が発生
1924年 Ⓙラジオの部品と受信機の開発に着手
1925年 日本でラジオ放送が開始
1928年 日本で船舶無線電話が開始
1928年 Ⓙ小型固定抵抗器「ワイローム」を開発
1929年 世界恐慌が始まる
1929年 Ⓙ対欧無線電信局の送信所として日本一高い鉄塔を建設
1930年 Ⓙ日本初の「航空無線機(短波)」を完成
1930年 Ⓙラジオ受信機「ニッポレット」を製品化
1934年 Ⓙ海軍と共同でマグネトロンの研究を開始
1934年 短波を使用した日本初の国際電話(対マニラ(フィリピン))が開設
1935年 ドイツでテレビ放送が開始
1934年 Ⓙ日本初の水晶制御式短波無線機が航空機に搭載
1937年 日中戦争勃発
1937年 Ⓙ水晶制御式無線機が訪欧飛行機に装備
1939年 Ⓙ世界初の「キャビティ・マグネトロン」を完成
1941年 太平洋戦争が始まる
1945年 終戦
:日本無線のトピック

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1938年に竣工した当社の旧・三鷹本社工場

遠く離れた場所にいる人だけでなく、海の上、空の上、移動中の人とも情報のやり取りを可能にした無線通信。信号を送るだけだった技術は次第に音声や映像も送ることができ、その用途も広がっていきました。技術が発展するにつれて無線通信は身近な存在となり、人々の生活に大きく影響するようになっていきます。

次回は無線通信の発展とともに歩んだ当社の技術の戦後から高度情報化社会まで、そして未来の技術についてご紹介します。

 

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