日本無線技報 No.53 2007 防災ソリューション特集

No.53 2007 防災ソリューション特集

巻頭言

-巻頭言-

事業と研究開発は一体で

Business and R&D as One

私の少年期、手塚治さんの鉄腕アトムのマンガを読み、アトムの正義感と10万馬力のパワーにあこがれながら、10年、20年先がどんなに素晴らしい世界になるのだろうかと将来の期待に思いを馳せていた覚えがあります。

実際、アトムが漫画の中で活躍していた1952年から1968年あたりの時代というのは、国内外で大変なスピードで科学技術の躍進が続いた時代でありました。主なものでは、テレビの放送開始(国内1953年)、人工衛星(ソ連1957年)、カラーテレビ放送(国内1960年)、有人宇宙飛行(ソ連1961年)、東海道新幹線開業(国内1964年)、アポロ11号月面着陸(米国1969年)など、めまぐるしいばかり。素材分野では、トランジスタが発明されたのが1948年で、最初のマイクロコンピュータが1971年に登場しております。そして現在では、最近のパソコンに搭載されているマイクロコンピュータはじつに初期の2万倍のトランジスタが内蔵され、計算スピードも2万倍になっており、処理能力でいえばじつに4億倍というとてつもない能力を持つようになっております。

当社の無線通信技術分野では、今般のアナログからデジタルへの移行は、事業・研究開発面で大きな変化をもたらしております。デジタル技術によって微妙なノウハウ要素が排除され、生産能力が大幅に向上した結果、開発スピード及び低価格化の競争が大変激しくなっております。このため、技術開発スピードを上げて先端技術を的確に保有をしていかなければ、この分野から取り残されてしまいます。もう一つの変化は事業目標設定と事業プロモーションの役割移動であります。かつては、事業を成立させていくための環境づくりをお客様自身が進められ、メーカーはその意向に沿った提案をし、ものづくりをしていくというケースが多々ありました。しかし現在はメーカー自身が考えて提案をしていかなければ事業を創ることは出来なくなっております。われわれ自身が事業を探し、創らないといけないのです。そのために、共有できる目標に向け全社の意識を統一させ、意思決定をすばやく、合理的に行う等ビジネススピードを高める力を整えなければなりません。

このような環境変化のなかで、本来の企業任務をいまもう一度思い起こす必要があります。われわれメーカーは、新しい商品や既存商品のモデルチェンジを通じて、お客様に喜んでいただける価値を絶えることなく生み出し、世に送り出していかなければなりません。それによってこそ社会の持続的発展に寄与でき、会社に利益を生み出し続けることができます。

その為にわれわれは、市場調査力を高め、開発プロセス改革を進め、要素技術の蓄積を図り、技術力、コアコンピテンシーの差別化に努め、当社の特性に合った独自性のある商品を生み出す努力をし続けなければならないのです。利益の出る商品というのは、その商品価値に対し、お客様が受け入れていただいたあかしであり、継続的な企業価値創出、事業推進の源泉となります。

われわれは、企業価値創出とは、お客様や社会から見た価値であることをしっかりと認識し、その企業価値を高める為に、事業と研究開発はこころをひとつにし、一体になって推進していかなくてはいけないと考えております。なによりもお客様に喜んでいただくために、研究開発部門は優れた技術を開発し、事業部門が製品化し、営業部門が販売するという役割分担の中で、優れた技術をスムースに事業化する為に、研究開発部門、事業部門、営業部門とのコミュニケーション、連携の更なる強化をはかってまいります。

驚異的な技術進化のおかげで、形の上ではアトムに近い人型ロボットが現実に登場してまいりました。また情報通信分野では驚異的な能力が容易に手に入るようになり、アトムの10万馬力を超えているとも言えます。しかし、正義(事業の成功)はお客様の判定を待たなければなりません。社員一同チャレンジ精神を持って目標に向かい現代のアトムとして社会に貢献してまいりたいと思います。今回の本稿特集である防災機器は形を変えた現代のアトムになれることを目指しております。そして当社は今後とも事業と研究開発が一体となり、ものづくりを通じ社会に貢献し、企業価値の向上に努めてまいります。

常務取締役 事業担当

内藤 幹男

Mikio Naito
Managing Director
Sales&Marketing

特別寄稿

-特別寄稿-

新潟県中越沖地震

~ The Nigataken Chuetsu-oki Earthquake ~

7月16日に発生した新潟県中越沖地震(M6.8)は、柏崎市や刈羽村を中心に、大きな被害をもたらした。総務省消防庁によると、7月25日現在、死者11人、重傷162人、軽傷1761人、全壊963棟となっている。

筆者も、地震の3日後から現地に入り、被災状況を取材した。倒壊した建物は、大部分が老朽化した木造家屋で、重い瓦屋根であるうえ、筋交いの入っていないもの、1階部分の壁が少ないものなどが被災した。いわば耐震性のきわめて低い家屋が、震度6強の揺れで倒壊したのである。

死者11人のうち10人は、倒壊した家屋の下敷きになって死亡したもので、いずれも70?80代の高齢者であった。大規模な災害が起きると、高齢者のような社会的弱者にしわよせがいくという構図を、またも具現したといえよう。

柏崎市周辺は、沿岸部の軟弱地盤地帯であるため、さまざまな地盤災害が発生した。地下を走る水道管やガス管がいたる所で損傷し、ライフラインが寸断された。地盤の液状化も顕著で、道路の亀裂や陥没、マンホールの抜け上がりなど、液状化特有の現象が各所で見られた。

盛土をして造成された新興住宅地では、家屋は破損を免れたものの、地盤に亀裂が入っているために、危険と判定された地区もある。

土砂崩れも各所で発生した。信越本線青海川駅では、駅の裏手の斜面が、幅約80mにわたって崩壊し、ホーム西側の線路が大量の土砂で埋まった。地震発生の9分前には、直江津行きの普通列車が通過したばかりだったという。

衝撃的だったのは、東京電力・柏崎刈羽原子力発電所で、60件以上のトラブルや被害の発生したことであった。柏崎刈羽原発には、原子炉7基が集中していて、世界でも最大規模の原子力発電所といわれる。そこを、設計時の想定をはるかに超える地震動が襲ったのである。さいわい、原子炉本体に影響はなかったが、周辺部でのさまざまな被害が目立った。

変圧器から火災が発生し、鎮火までに2時間を要した。東電の職員らが消火にあたろうとしたが、地下の消火用配管が地震で壊れ、水がほとんど出なかったという。結局、地元消防が駆けつけ消し止めるまで燃えつづけたのである。

6号機では、使用済み核燃料プールの水が溢れ、施設内の排水溝を通じて海にまで流出した。水には微量の放射性物質が含まれていたが、人体や環境への影響を与えるほどの量ではなかった。しかし微量とはいえ、地震によって放射性物質が外部へ漏れた例は過去にはなく、経済産業省原子力安全・保安院も事態を重視している。

6号機のような外部への流出はなかったものの、核燃料プールでは、1?7号機のすべてで水が溢れ出ていた。これは、周期2秒前後の地震動によるスロッシング現象が原因とみられている。

また、低レベル放射性廃棄物の入ったドラム缶約400本が倒れ、うち数十本では蓋が外れていたこともわかった。

さらに、6号機原子炉建屋の天井クレーンが破損していることも確認された。クレーンは、原子炉の真上にあるのだが、落下する危険性はないという。

1号機周辺の地中に埋設されていた消火用の配管が破裂したため、大量の水が、地盤の沈下によって生じた地下1階の電気ケーブル引きこみ口の隙間から、原子炉建屋内に流れこんだ。約2000トンの水が地下5階に流れこみ、深さは48cmに達しており、タンクやモーター類に被害がでていると推測されている。

7月21日、原発の施設が報道陣に公開されたときの映像を見ると、敷地には各所で地盤の液状化が原因とみられる亀裂や段差などが生じており、道路も大きく波打っていた。前述の1号機周辺の地盤沈下も、液状化によるものであろう。沿岸部に埋め立ても含めて立地したのだから、なぜ液状化対策を十分に講じてこなかったのか、疑念が残る。

稼働中の原発が、震度6強の揺れに見舞われたのは、世界でも初めてのことである。それだけに地震国日本では、全国各地の原発について、その耐震性を再点検するとともに、耐震設計の見直しを検討することが求められている。

新潟県中越沖地震は、“新潟?神戸歪み集中帯”の中で発生した。この集中帯では、地震を起こすための歪みが、他の地域より数倍も蓄積していることが、GPS観測により明らかになっている。1948年福井地震、1964年新潟地震、1995年兵庫県南部地震、2004年新潟県中越地震など、大規模な災害をもたらした地震は、いずれもこの集中帯で発生してきた。しかもこの歪み集中帯には、歴史時代以降、大きな地震を起こしていない活断層が複数走っている。それだけに建築物の耐震化をはじめ、いつ起きてもおかしくはない内陸直下地震に備える体制の整備が、強く望まれるところである。

註:伊藤先生に本技報への寄稿をお願いした後、2007年7月16日に「中越沖地震」が発生しました。
本原稿は、7月末の締め切りに合わせて、現地視察から戻られた先生より頂いたものです。
(技報編集委員会)

プロフィール: [略歴]1953年東京大学理学部地学科卒業後。東京大学教養学部助手。NHK解説委員を経て、1990?2001年文教大学国際学部教授。中央公害対策審議会委員。消防審議会会長。
地震調査研究推進本部政策委員会委員。社会資本整備審議会河川部会委員などを歴任。現在は中央防災会議専門委員(内閣府)。地球環境研究等企画委員会委員(環境省)。
[著書]「日本の地震災害」「地震と噴火の日本史」「直下地震!」「津波防災を考える」「火山噴火予知と防災」「大地震・あなたは大丈夫か」「火山・噴火と災害」「地震と火山の災害史」ほか

(特定非営利活動法人)防災情報機構会長

伊藤 和明

Kazuaki Itou
(Non Profit Organization)Information Institute of Disaster Prevention

防災無線関連

その他の技術情報